茂藤かおり (もとう かおり)
熊本市在住
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今は夫と2人暮らしです。
長女(28才)は結婚し韓国在住、長男(26才)は東京で会社員。
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どうしたら、いつも愛を感じていられるのだろう?
どうしたら、穏やかでいられるだろう?
幼い頃からずっと、心安らげる方法を探し求めていました。
漠然と、「責められている」感じが、常にありました。
また自分を責めるのをやめられませんでした。
得体の知れない絶望感が、いつもありました。
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探究を重ねた先に【奇跡のコース】【非二元】にたどり着きました。
人生の疑問への答えは、すべてここにありました。
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これまでのプロセスを少し詳しく書こうと思います。
幼い早々から「分離感」が強く、世の中に違和感や白々しさを感じていました。
また、家は争いや問題が絶えず、不安ばかりの日々でした。
両親、大人たち、人間、社会、世界、に不信感と絶望を感じていて、身体も弱く、よく病気もしてました。
毎日が辛くて、とにかく「どうして生きてるのか?」理由を知りたかったです。
「宇宙」に答えがあるかもしれないと、見えない世界に思いを馳せていました。
また、自分の内側の奥に、表現できないゆるぎなさは感じていましたが、すぐ現実世界に戻っていました。
高校生のとき、なぜか気になっていたプロテスタント教会に通い、きっと「聖書」に真実が書いてあるはずだ!と思って読んでいましたが、読めば読むほど自分の存在を責めることになりました。
そして、19歳の頃に、不信感を抱いて教会からも聖書からも離れました。
ただ、「イエス・キリスト」という存在には、”確かさ”と”親しさ”を感じていました。
自分の内側の奥の”ゆるぎない確かさ”と共鳴しているのを感じていました・・・。
25才で結婚。
家族と居場所ができたことで少し安心できるようになりましたし、子育ては不安がありながらも、とても楽しかったです。
わたしの親とは出来なかった楽しいことを、子供たちとは体験したいと思っていたので、とても充実していました。
ですが、子育てに情熱を傾けながらも、欠如感や絶望感がありました。
過去のことも、まだ癒えていないままでした。
外で活動することで、癒され、満たされるかもしれない、何か答えが見つかるかもしれないって思い、いろいろ挑戦しようと、美容の体操協会で資格を取り、インストラクターをしたり、エステ店でエステティシャンとして働いたりもしました。
そして、”この世界と、人を癒したい!”という思いが強まり、ホリステック療法として、アロマテラピーのインストラクターとして独立しました。
彷徨いながらも、"真実"に巡り会うために、わたしの意思というより、内なる衝動にみちびかれている感じでした。
それでも、これが真実だ!とひらめいても、次の日には新たな葛藤がわきました。
そのうち、この埋まらない欠乏の感覚を夫のせいにするようになりました。
「この結婚は間違っていた。だから、満たされないんだ!」と。
外では癒しを提供しているのに、家での夫との仲は最悪でした。
また、両親のこともゆるしておらず、心は苦しいままでした。
そして、30才後半のある日、夫との険悪で最悪な喧嘩の末に、ふいに、幼いころからずっとある心の苦しみを夫にカミングアウトしたのです。
私は、泣きながら、「生きている本当の意味を知りたい」と夫に向かって叫んでいました。
このように、幼い頃からの心の叫び、絶望感、を誰かに訴えたのは初めてでした。
そしたら・・・、夫が理解してくれたのです。
はじめて、誰かに本当のことが言えた!と、力が湧いてきました。
そして、このことをきっかけに、本格的に「心」について学び始めました。
ここが、大きな転機でした。
また、「身体」から「心」へのアプローチに関心が移行し、深まっていきました。
交流分析、再決断療法、ヒプノセラピー、NLP、ゲシュタルト療法、「仏教」「禅」など心理療法、また身体のことも見直そうと分子整合栄養学や陰陽五行などの東洋医学も学びました。
"真実"を探究し続けました。
学びからの気づきで、これまでの「信念」を変えることが大切だと学び、「信念」やその感情、感覚を冷静に観察できるようになって、心に余裕がでてきました。
夫や子供との関係はさらに良くなり、両親へのわだかまりも薄れ、環境なども劇的に良くなりました。
こうして、自分が実践して効果があった「心理療法」を仕事として提供するようになりました。
ヒプノセラピーなどのインストラクターとして、セラピスト育成に携わらせていただきました。
また、内なる導きに突きうごかされ、何度も推敲を重ねて作成した「メソッド」も提供してきました。
この間の20年間、たくさんの機会をいただき、何千人もの方たちと、セラピスト育成やセッション、サポートに関わらせていただきました。
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こうして、人生が好転していきましたが、完全ではありませんでした。
依然として得体の知れない絶望感があるのです。
形の世界は良くなって、順調そうなふりをしてるだけで、心の中には不安や不満、そして恐怖が居すわっていました。
そして、その恐怖を"自分"でどうにかしなきゃ、と奮闘する日々。
また、それでも相変わらず、心の奥には確かさが鎮座していました。
「私、何か、間違ってる・・・」
自分にも、世の中にも、人にも不満だらけ。
何もかも、ゆるせていない。
ゆるすなんて不可能だ。
そして、ゆるさないでいる心のままなので、スッキリしない、苦しい、罪悪感、裁きが止まらない。
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「もう一度、やり直したい、見直したい」
これまで築いてきたものを終わらせるのは怖かったですが、現状のままでいることができなくなりました。
心のメッセージに従って、これまでのセラピスト養成の仕事から退きました。
そして10年前に一度は取り組んだものの、遠ざけていた「奇跡講座」に、再び吸い寄せられるようにして取り組みました。
2度目の「奇跡講座」は、まさに奇跡。
全てがすんなりと納得できていきました。
というか、求めていたそのものがすべてあることを認めました。
内側の確かさとハッキリと共鳴し合いました。
気づきと癒しと赦しが、怒涛のように起こり始めました。
一人でどうにかしようとする意固地さをやめて、素直に兄弟に助けてもらうようになりました。
「奇跡講座」を通して気づきをわかち合う仲間を求め、積極的に交流しました。
握りしめていた「特別性」が、どんどん薄れていきました。
「特別性」とは、「わたし」という自作のストーリー。
存在の意義を成り立たせないと生き残れないと信じ込み、「身体」がわたしだと信じていました。
「個人」、「身体」という"不確かさ"を信じ続けることで、「愛」を拒んでいたのは「わたし」でした。
「愛」という「全体」に気づくと、「わたし」がなくなると信じていたのです。
自作のストーリーで、わたし本人が「愛」を遠ざけてきたのです。
これまでの苦しくて違和感だらけの世界は、「わたし」が作ってきたのだということを100%認めました。
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このカラクリがほんとうに受け入れられ、理解し、「降参」し、「ゆだねる」という一択にたどり着きました。
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「愛」だけがありました。
「全体」だけがありました。
それを、ただ「YES」と受け入れるだけでした。
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『神に秘密はない』
【テキスト22 Ⅰ.3:10】
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奇跡講座のテキストにこう述べられています。
愛は隠されていない。
わたしが見ないと決めていただけ。
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『肉体は、自我が選んだ自我の住処である。』
【テキスト4 Ⅴ.4:1】
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幼いころからの苦しみの答えがありました。
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「個人」から「全体」へ。
「苦しみ」から「愛」へ。
わたしたちは、「全体」から一度も離れていないのです。
離れたことのない愛に包まれていた。
今、求めて止まなかった静かで穏やかな喜びに満たされます。
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「奇跡のコース」の教義にこう述べられています。
『実在するものは脅かされない。
実在しないものは存在しない。
ここに神の平安がある。』
ACIM 教義
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日々、祝福です。
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”Humming”にて、
・「奇跡講座」の読み合わせ
・目覚めへの個人セッション
・オープンカフェ&シェア会
を提供しています。(ドネーション制です)
いつでも、どなたでも、ぜひお気軽にご連絡お待ちしております。
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どうぞよろしくお願いします。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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※【Humming】および、「奇跡講座」「非二元」は宗教ではありません。
いかなる宗教団体とも関係がありません。
「奇跡のコース実践記録」のblogも書いています。↓
https://kuzira626.hatenablog.com/
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【あなたは神に倣わずに創造することを選んだ。
だから、自分のために恐れを作り出した。
あなたが心安らかでないのは、自らの機能を全うしていないからである。
神は、あなたがまだ全うしていないきわめて気高い機能を、あなたに授けた。
自我は、それを全うする代わりに、恐れることを選んだ。
(テキスト 第4章Ⅰ9:3-6】
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【恐れのあらゆる側面は真実ではない。
なぜなら、それらは創造的レベルでは存在せず、
したがって、まったく存在しないからである。(テキスト 第1章 Ⅵ 5:1)】
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【神からの分離という感覚だけが、あなたが真に正すべき唯一の欠乏である。
この分離の感覚は、あなたが真理についての自分の知覚を歪め、
それによってあなた自身に欠乏があると知覚したのでなければ、決して生じることはなかった。
(テキスト 第1章 Ⅵ 2:1-2)】
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【あなたは兄弟の無罪性を裁くのと同じように自分の無罪性を裁き、
兄弟の無罪性を受け入れるのと同じように自分の無罪性を受け入れることになる。
(テキスト 第9章 Ⅵ 4:9)】
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【奇跡はあなたの聖性をとりなし、あなたの知覚を神聖にする。
物理的法則を超えたところにあなたを置くことにより、
奇跡はあなたを天界の領域へと引き上げる。
そこでは、あなたはまさしく完全無欠である。
(テキスト 第1章 Ⅰ 32:2-4)】